山田 智之さん
「うまかったよ」「また来るね」って
笑顔があるから止められないんだよ。
「ハンスパ」「パーコー」「ミルクラーメン」と聞いてピンとくる人、さすがです!どれも地元の舌をうならせ84年のパブレストラン二光の看板メニュー。厨房では今日もマスターの山田さんが腕を振るいます。
── 二光はお父さんが初代?
うん、親父が昭和16年に始めた。店の名前は親父が女房、つまり母親と2人で営業するから「二つの光」と付けたと聞いている。もとは本町で、建物が老朽化して20年前に向新蔵に移ってきたんだ。だから、60年くらいは本町で営業していたことになるな。
俺は昭和19年生まれだから、生まれたときには店はやっていた。だが5人兄弟のバッチ(末っ子)で、継ぐなんて考えてもいなかったよ。
── なのに、なぜ二代目に?
兄たちがみんな仕事で東京にいっちゃったんだ。自分も高校を中退することになっていて、就職先も決まっていたから、すぐ東京に出るつもりだった。
それがある日、帰宅したら親父が「店をやるのはお前だぞ」って。「え?」ってなるよね。「就職が決まってんだぞ」って言っても、親父の「それはそれ、これはこれ」っていう一言で、言うことを聞くしかなかった。そういう時代だったんだ。
── なるほど。料理の修行はどこで?
あえて言うなら、師匠は親父。どこにも出ずに「二光」を継いだ。親子一緒に働いた期間は短かったが、あの頃、店の向かいに白河劇場という映画館があってね、周辺に飲食店が少なかったこともあって、チャンバラ映画なんてやっているとそれは混んで混んで。そういう状況で、親父が忙しく調理するのを手伝いながら育ったから、手際も味も身についていたんだ。
── 当時から夜のみの営業だった?
いや、昔は昼も夜も出前もやって、寝る暇がないくらい忙しくて、これ以上やったら倒れちゃうぞと。それで夜だけにしたんだが、深夜5早朝まで働く工場勤務の人がいっぱいいて仕事帰りに食べに来るんだよ。何時間も待たせといて、帰れっていうわけも行かないしね。それで、当時は朝4時まで営業していた。ボリュームのあるメニューもね、勤め帰りや飲んだあとの〆にお腹いっぱい食べてもらいたいから作ったんだ。
── ハンスパやミルクラーメンも
マスターオリジナル?
そう、デミグラスやミートソースを掛け合わせて、スパゲティが冷めないよう鉄板で出したのがハンバーグスパゲティ。ラーメンも白河は醤油だが、うちは洋食屋だからミルクや、揚げ豚を載せたパーコー。これ、みんな喜んでくれてね。メニューを持っていく前に「ハンスパ3つね」「ミルクラーメンね」って言われることがすごく多い。
忙しい時はきつかったけど、「うまかった、また来るね」って言われると「分かってくれてるんだな」「やってて良かったな」って思うよ。
── 御年80歳、これからは?
毎日厨房に立つのは当たり前で体に染みついているし、生きがいになっていると思うから一生現役で行きたいねぇ。家族は「年だから考えないと」って言うけど、やめたら死んじゃうぞー、と(笑)
18歳で仕方なしに継いだけど、店をやってきたおかげで幸せな思いをさせてもらえるし、親父が一所懸命にやっていた店、お客さんが喜んでくれる店を潰すわけにいかないなと心底思っているんだよ。

<パブレストラン二光>
住所:白河市向新蔵44-1
営業時間: 18:00~23:00(ラストまで)
定休日:火
TEL: 0248-23-2230
◆[プロフィール]◆
洋食店マスター
有限会社二光 会長
1944年12月15日
白河市生まれ
1962年、18歳で
父の営む『二光食堂』に入る。
2005年、本町から向新蔵へ移転。
店名を『パブレストラン二光』に変更
独創的なメニューと創業84年の
老舗洋食店として
地元に愛され続けている。


