野﨑 洋光さん
食を通して気づいてほしい!
田舎は〝世界の最先端〟です。
日本料理人の野﨑洋光さんは、古殿町出身。現役時代からふるさとに深くかかわり、食を通して地域の良さを掘り起こしつづける「和食の達人」に、地元に寄せる思いを伺いました。
── 料理の道に進んだきっかけは?
僕は古殿町で15人家族と下宿人がいる家で育ちました。子ども時代は食に興味はなく、「将来はラクして過ごしたいなぁ」としか思っていなかったんですが、高校を卒業して栄養専門学校に進むことを選びました。理由は、腎臓病の姉を食事で治したかったからです。
でも姉は、1年後に他界してしまい学ぶ目的がなくなってしまった。就職するときも「料理なら何とか食べていけるか」というほどの考えしかありませんでした。
── それは意外です。どこで変わったのですか?
最初は職に就ければ勉強はしなくていいと思っていました。刺身を切ったり、食材を煮たりできればいいと。ところが入ってみたら、そこにはびっくりする世界が広がっていました。
和食の歴史は千年以上。平安時代までさかのぼれる奥深さで、文化度が非常に高かったんです。つまり、自分が選んだ仕事はそのものがカルチャーだと気づきました。それからですね。
── 50年間ずっと現役。その原動力は?
「楽しいから」の一言に尽きます!料理を通して、日本の文化史をずっと追いかけてきました。いまでも勉強しなくちゃいけないことが山ほどあります。それ、とても楽しいことなんですよ。好きなことを楽しんで、お客さんが自分から食べに来てくれて、しかも褒めてくれる!こんな良い仕事は他にないでしょ!?
── 昨年退職されました。現在は?
退職後は、店ではできなかったことをやろうと動いてきました。おかげさまで方々から声をかけていただき、全国を飛び回っています。そういう意味では、まだ現役ですね。いまは関わる地域で、その土地らしい良さを食で作って差し上げたいと思っています。
── 食を通して伝えたいことは?
皆さん「地元には何もない」という。違うんですよねぇ。見る角度を少し変えてみてほしいです。
「田舎」と呼ばれる地域は、じつは最先端の場所です。川の水が飲める国なんて世界で10か国もないし、畑の野菜を冷蔵庫を通さず食べられるなんてすごい贅沢。それに、昔からの棚田や畑は電気ポンプなしで上から下に水が流れるようにできている。環境を守ろう、持続可能にしようと世界中が動いているなかで、エネルギーを使わずに暮らせる最先端の知恵が詰まっているんですから。
── 地元の皆さんへメッセージを!
古殿町は、県内でもどん詰まりの位置にあり、僕らのころは常磐道もなくどこへ行くのも大変で、外部との交流も限られていました。
でも、だからこそ地域が寄り添い生きる術が受け継がれている。そういうコミュニケーションがないところに文化は育ちません。いつ来ても自然がきれいで優しさにあふれている。こんなすごいところは他にない!「世界の最先端にいるんだ!」ということに気づいてほしいと思います。
◆[プロフィール]◆
日本料理人
1953年1月28日生、71歳。
古殿町出身。
学校法人石川高等学校・武蔵野栄養専門学校卒業後、
東京グランドホテル、八芳園を経て、
「とく山」の料理長に就任。
1989年日本料理店「分とく山」を開店。
グループ5店舗の総料理長を務める。
昨年退職し、地元古殿町の
ふるさと応援大使に就任。
古殿の豊かな地元食材を
県内外に発信している。
◎Instagram
https://www.instagram.com/nozaki_hiromitsu