長谷部 慎さん

必ず、箱根路を走り切る!
悔しい思いも乗り越えて。
フェニックススピリット(不死鳥精神)は続く!

 東京農大として10年ぶり、自身初出場となった箱根駅伝。都大路(全国高校駅伝大会)から憧れの箱根駅伝までの道のりには悔しい思いと、たゆまぬ努力があリました。中島村出身の長谷部慎選手にお話を伺いました。

── 陸上をはじめたきっかけは?

 父と一緒に親子マラソンで走ったのがはじまりです。子どもの頃から箱根駅伝は好きで、柏原選手は憧れの選手でした。小学校低学年の頃から県の精鋭が集まるロードレースに参加して、優勝はしていたんですが、中3まではサッカーに夢中でしたね。中3のときに県の大会に3000mで出場、ふくしま駅伝にも出場しました。この駅伝を通して初めて本格的に陸上の練習をしたことがきっかけで「走る」ことの面白さに目覚めました。

── 学石時代、みんなで目指した都大路!

 学法石川高校(以下学石)進学後は、陸上部に所属し、「全国高校駅伝(都大路)で優勝する」という目標に向かって、仲間たちと切磋琢磨する日々を過ごしました。5位入賞と県の記録を更新することができ、現在も学内でこの記録は破られていません。

── 東京農業大学への進学、苦しかった二年間

 学石の先輩や同級生の高槻芳照選手(今回の箱根駅伝では1区で主将)と一緒に、「箱根駅伝復活」を目指そうと進学しましたが、進学後すぐにコロナ禍となり、練習できない日々が続きました。2年生の6月から一年間は右足の疲労骨折、その後、右足太ももの肉離れが半年続き、二年間全く走ることができず、悔しい時間を過ごしました。その期間も箱根路への夢を諦めずに、上半身や足に負担をかけないトレーニングなどを続けました。東京農大は、練習メニューをコンディションと向き合いながら自分で決めることができるなど、自由で柔軟な雰囲気が魅力ですね。

── 予選会を突破し、念願の箱根駅伝出場へ

 4年目最後の挑戦となった箱根駅伝は予選会からかなリプレッシャーがありました。予選会では集団をペースメイクする役割として、ほぼイメージ通りの走りができ、予選突破できました。本選までは部内での選考もあるので、今まで以上に緊張感を持って過ごしました。箱根では復路7区の予定でしたが、怪我の選手に変わって3区を走りました。緩やかなように見えてもアップダウンがあり、本当に強い選手が走る区間なんだと改めて実感しました。チームとしては22位、目標だったシード権は手にすることができず、初の箱根駅伝はこれまでで一番大変な駅伝と感じましたね。他校で出場していた学石出身の選手とは「出場できない選手の分も学石としてがんばろう」とお互いに鼓舞しあう場面もありました。

── 大学卒業後の進路について

 陸上は自分ががんばった分だけ結果が出るのが魅力で、駅伝は一本のたすきを全員でつなぐことで自分が持っている以上の力を発揮できるのが魅力ですね。進路については、周りの方と相談しながらじっくり決めているところです。実業団への入団も視野に入れ、これからも陸上に携わっていきたいです。

── 読者へのメッセージ

 中島村の温泉「ふれあいの郷」はよく行っていました。「仲家」の唐揚げは家族でテイクアウトして食べたりしていました。両親をはじめ、帰省した際にはいつも声をかけてくれる村の皆さんに、今回箱根路を走っている姿を見せられたのは良かったです。これからも応援してもらえるよう走り続けていきたいです!

 

 
 

◆[プロフィール]◆

長谷部 慎( はせべ  しん)さん
長距離ランナー

 
2001年8月16日生まれの22歳。
中島村出身。
中島村立中島中学校から
学法石川高校卒業後、
東京農業大学へ進学。
現在、国際食料情報学部
食料環境経済学科4年生。
2024年箱根駅伝出場
(個人としては初出場、
大学としては10年ぶり)
 
 

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