草野 水音さん

終わりのないバレエの世界。
チャレンジし続ける姿を、
両親に見てほしいです。

 須賀川市出身で、現在アメリカのバレエカンパニーに所属するダンサー・草野水音さん。新たなシーズンがスタートする直前、帰国中の草野さんに世界にチャレンジすることになった経緯や、これからのバレエにかける想いをお聞きしました。
 

── 5歳からバレエずくめだったのでは?

 そうですね、小学3年からは毎年コンクールに出るようになって、時間がなくなりました。クラスが上がるたびに、どんどんバレエ一色になりました。一週間のスケジュールは、平日は郡山、週末は福島のスタジオ通い。放課後にレッスンを受けた後に自主練をして帰ると、家につくのは夜10時頃。仕事をしながら送迎をしてくれた母は本当に大変だったと思います。

── 辞めたいと思ったことはあった?

 何度もありますね。1回目は中学生のとき、2回目は高校で進路選択に悩んだときです。でも「バレエが好きだな」「もっと踊りたいな」と、いつも思ってしまって。
 最近もそうです。一昨年からコロナで公演中止が続いて精神的にとても辛く、「バレエができないならもう辞めようか」「日本に帰ろうか」と。しばらくすると、やっぱり踊りたくなるんですけど。

── 16歳で初渡米。不安はなかった?

 スクールの先輩には海外で活躍するダンサーがたくさんいて、「いいな」とは思っていましたが、海外に行くきっかけを用意してくれたのは両親です。高校2年でバレエを続けるべきか迷ったとき、「一度海外でやってみたら?」と短期のバレエ留学へ送り出してくれたんです。
 初めての海外で英語も全然しゃべれませんでしたが、不安よりも楽しみの方が大きかった!地図を見ながら、空港からスクールまでワクワクした気持ちで行ったのを覚えています。

── プロになる夢はそのときから?

 そうです。アメリカでレッスンを受けてみて、「海外でプロのダンサーになる」という目標ができました。
 その夢を叶えたくて、帰国後、過去に2回の予選落ちを経験していた[ユース・アメリカ・グランプリ※1]日本予選に、もう一度、挑戦することにしたんです。バレエは、小さいうちからプロをめざす人が多いんですが、そのときの私は17歳。土・日はスタジオに泊まり込むなどして、かなり本気で練習しました。

── その挑戦が現在につながった?

 はい。日本予選で2位になり、NYファイナルに進むことができました。NYの予選は通らなかったのですが、この出場をきっかけにロックスクール※2の奨学金を受けられることになったんです。高校3年の春には留学を決め、夏に本格的に渡米しました。
 その後、20歳から現在までフィラデルフィアバレエに所属しています。1シーズンで5・6回の公演があるので、6・7月のオフ以外は、レッスンとリハーサルの日々。2021~2022シーズンは観客を入れた公演ができる予定で、やっとお客様の前で舞台に立つことができます。アメリカに戻ったらまた猛レッスンですが、いまからすごく楽しみです。

── これからの目標は?

 私はいま、アバレンティスというランクにいて、今後ランクアップできなければカンパニーには残れません。他に移るにしても、舞台芸術はどこも大変な状況なのでどうなるか分かりません。
 ダンサーにゴールはありませんが、バレエはとても厳しい世界。活躍し続けられる人は、ほんのひと握りです。それでも踊ることが好きだから、いつまでもチャレンジを続けていきたいし、その姿をどんなときも支えてくれる家族に見てほしいと思っています。
 

  • ※1 ユース・アメリカ・グランブリ(YAGP)
    • 19歳までのダンサーを対象とした世界最大の国際バレエコンクール。
      YAGPの奨学金は「将来性があると見込まれた学生に授与される。
  • ※2 ロックスクール・フォー・ダンス・エデュケーション
    • フィラデルフィアにあるクラシックバレエスクール。

 

◆[プロフィール]◆
草野 水音(くさの みね)さん
バレエダンサー

柏城小・須賀川二中卒業(23歳)
清陵情報高校在学中に18歳で渡米。
「ぽっちゃりした足首が細くなるかも」と考えたお母さまによって、2003年に5歳で竹内ひとみバレエスクールに入所。
毎年、シーズンオフにはアメリカから帰国し、地元の子ども達にレッスンを行っている。
2016年からロックスクール・フォー・ダンス・エデュケーション入学。
2018年ユース・アメリカ・グランプリフィラデルフィア予選のクラシックおよびコンテンポラリーシニア部門で1位を獲得。
2018-19シーズンよりフィラデルフィアパレエに所属。
2021-22シーズンは、くるみ割り人形など多数の公演に出演予定。
 
 

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