小針竹千代さん

代々が「観る人に喜んで欲しい」と
一心に咲かせてきた桜。もうすぐ見ごろです。

玉川村のJR泉郷駅から車で3分の高台にある民家に、毎春、降るように咲く[金毘羅桜]。樹高13m、樹齢250年のこの一本桜は、農業を営む小針さん宅の庭で代々たくさんの観桜客を迎えてきました。植樹から13代目の桜守、小針竹千代さんに桜の由来や楽しみ方を聞きました。
 

── 金毘羅桜の由来は?

13代前の与兵衛という先祖が屋敷に植えた紅シダレザクラです。根元に建つ石碑のいわれによると、江戸中期の大飢饉の後に四国の金毘羅詣りをした記念樹らしい。お詣りの話は他の地域にも残っているから、与兵衛さんはおそらく村の代表で行ったのだと思います。それを代々守ってきました。
ただ、昔は種まき桜と呼んでいたんですよ。種まき桜は、農家が田んぼ作業の目安にする桜の通称。桜の花が咲くと「種をまく時期だ」という意味です。金毘羅桜と呼ぶようになったのは、昭和55年に石碑を納める祠を建てた時からで、花見客に桜の名前を聞かれて、「それなら」と親父とふたりで、いわれに因んで名付けました。

── 昔から自宅に花見客を迎えてきたのですか?

農家は梅や柿、栗など食べる木を植えるものですが、先祖は人を集めて花を楽しむ風流さがあったんでしょう。
両親も毎年、花見客をお茶や漬物でもてなして「今日は〇〇人来たよ」と喜んでいました。母親は花が好きだったし、桜が咲くと農作業を休めるから嬉しかったんじゃないかな。そんな親を見て育ったので、私も当たり前だと思って手入れしてきました。特に、桜の木の後ろに家を移築した20年前からは、もっと多くの人に花見を楽しんでもらいたいと、毎年少しずつ周辺の整備を進めてきました。

── 桜以外の花もきれいですね。

桜満開の頃は水仙も花盛り。桜が終わった後は、藤の花が見ごろになります。藤は、母親が「うちにもあったらいいな」というから植えました。桜を観に来た人が、藤の花の季節にまた来られることが多いです。
桜も、金毘羅桜とは違う種類を植え足して、いまは20種類が花をつけます。でも金毘羅桜はやっぱり格別かな。この辺りの紅シダレザクラは三春の滝桜の子孫といわれていますが、人と同じで、同じ親から生まれても種によって個性が違う。うちの金毘羅桜は、色合いがすごくいいんですよ。

── 夜桜のライトアップは残念ながら中止

女房の勤務先で夜桜の下で花見をしたいというので、「夜は花が観えないだろうから」と始めました。それから、イルミネーションは可愛い孫のため(笑。息子家族が震災で避難してね。8年前から毎年1万球ずつ買い足し、今年は8万球を飾り付けるつもりでだったんですがね。このコロナウィルスの影響で今年は残念ながら中止にしました。

──「喜んでもらいたくて大切に咲かせているので、たくさんの方に観に来て欲しいと言いたいんですが、このご時世ですからね..」と小針さん。ご先祖から受け継がれた「人を楽しませたい」という想いが伝わるステキなインタビューでした。ライトアップイルミネーションは来年に期待してます!
 

◆[プロフィール]
小針 竹千代(こばりたけちよ)
1955年玉川村生まれ 65歳
小高小学校(現 玉川第一小学校)
泉中学校(現 玉川中学校)
岩瀬農業高校 出身

祖先が植樹した[金毘羅桜]の守り人。樹齢250年の樹が痛まないよう日頃から折れた枝の傷口を切り戻し、薬を塗るなど管理。毎年見事な花を咲かせて一般公開している。
 
 

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