井上 翔太さん

まだ夢なかば!
いつか、笑いの中心にいる瞬間を届けたい!

 芸歴12年、昨年「ぱっつんジャパン」として活動再開した、泉崎出身の芸人、井上翔太さん。芸人として故郷に錦を飾りたい!とひたむきに夢を追い続ける井上さんにお話を伺いました。

── 最近の活動を教えてください

 今は東京在住で、都内の小劇場での活動が中心ですね。芸人としては、田村高校時代の友人と始めた「ハチクミ」(ワタナベエンターテインメント)というコンビからはじまり8年間活動の後、「ペニーズハウス」(ライジングプロダクション)を経て、最近「ぱっつんジャパン」というコンビでフリーの芸人として活動をはじめました。昔からの芸人飲み仲間の仲山と一緒に最後かまそうか?という決意のもとコンビを結成して日々奮闘している毎日です。

── どんな学生生活を過ごしましたか?

 もともとロードレーサーで競輪選手だった父は、今は母と「磯八」という居酒屋を20年以上経営しているんです。最近は世代も一周りして、自分の同級生も通うような地元で愛されてるお店です。子供のころはどんな人とも仲良くできるムードメーカー的な存在だったと思います。泉崎中学校では陸上長距離と自転車競技、特設駅伝部とかなりストイックな学生生活だったのを覚えています。その後「ハチクミ」の相方となる同級生からの誘いもあり、田村高校へ進学し、陸上競技部、副部長として3000メートル障害で東北大会決勝まで行きました。

── 芸人として歩みはじめたきっかけ

 もともとお笑いが好きで強い憧れはありました。高校のときに陸上部の合宿の締めくくりにそれぞれ何か芸を披露するしきたりがあったんですね。そのときに後の「ハチクミ」の2人で初めてネタを考えて漫才をやったんです。それがものすごくウケたのがきっかけで、高校卒業の時点でゆくゆくはお笑いの道へ進みたいと考えていました。上武大学へ進学し、箱根駅伝を目指していたこともありましたが、大学2年生のときに学業を離れて、芸人を志して東京へ上京しました。同期では「クマムシ」、「ハナコ」などがいます。ちなみに「ハナコ」のトリオ結成のきっかけはそれぞれを知っていた僕がきっかけを作った部分もあるんですよ(笑)。震災の影響もあって駆け出しの頃はなかなか厳しい時期で、ひたすらネタをつくっていたのをよく覚えています。

── これからのこと

 コロナ禍ではなかなか福島に行く機会に恵まれませんでしたが、「THE OUTSIDER」という格闘技イベントの東北大会が白河であり、MCを務めたりもしました。今はまだまだ新しいコンビなので、SNS等を積極的に活用していきたいですね。今まで応援してくれた人や支えてくれた人のことを考えても、故郷には手ぶらで戻れないという気持ちが強いですし、居心地が悪いような気がしています。後戻りできないだけかもしれないけれど、お笑いの中心にいる瞬間を見せたいです。

── こみっと読者へ

 学生時代は烏峠の坂から神社まで初詣やトレーニングでよく行きました。登りきった達成感が最高です。帰省したときは、出前もできる「くるま食堂」さんのラーメンをよく食べます。芸人生活、最後といえば最後のチャンスだと思って、今まで積み重ねてきたネタを更に昇華させていきたいです。誰やねん?と思う方もいるかもしれませんが、自分なりの笑いを届けるので待っててください!

 

 
 

◆[プロフィール]◆

井上 翔太(いのうえ しょうた)さん
お笑い芸人

 
1988年生まれ35歳
泉崎村出身
泉崎第二小学校、泉崎中学校、
田村高校卒業後、上武大学を経て
芸人活動開始。
田村高校の同級生と
ハチクミというコンビで8年間活動、
その後ペニーズハウスを経て
今は昨年9月から
ぱっつんジャパンとしてリスタート中。
キングオブコントは準々決勝進出
M-1は3回戦進出、
NHK爆笑オンエアバトルで
過去十数年で
芸歴最短オンエア記録。
 
 

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