津吹 みゆさん

コロナ禍で気づいたステージで歌う喜び。
皆さんの心に寄り添える歌い手をめざして!

「どんと響く直球ボイス!」がキャッチフレーズの演歌歌手・津吹みゆさんが、2 年ぶりにふるさと矢吹に凱旋!デビューから8 年、フレッシュかつ艶のあるステージとはひと味違うキュートな素顔に迫ります!

── みゆさんの歌の原点は?

 特別なレッスンを受けていたわけではなくて、ただ歌うことが好きな子どもでした。音楽療法士で、歌のボランティアをしていた母にくっついて福祉施設へ出かけて、よく懐メロを歌っていました。小学3年生のころで、青い山脈とか、りんごの唄とか。
 そのたびに施設のおじいちゃんやおばあちゃんが手をたたいて喜んで、可愛がってくれることがうれしくて。きっと、あのころが「歌が好きな私」の原点ですね。

── 地元で思い出深い場所は?

 大池公園で友達とザリガニ釣りをしたり、祖父と近くの田んぼで歌ったり、三十三観音史跡公園でおにぎりを食べたり。
 両親は仕事があるから、放課後は祖父母と過ごすことが多かったんです。それから、母の実家が白河なので、南湖公園や小峰城もよく行きました。あ、公園ばっかり!?

── 演歌好きになったのは?

 祖父母も母も大の演歌好きなんです。だから、自然になじんでいたというか、演歌のメロディを聞くとほっとするというか。もちろん、中学や高校時代に友達とカラオケに行けば J-pop も歌いました。ただ自分では気づかないけど、結構こぶしが効いてたみたいです(笑)

── 8年間で一番のエピソードは?

 エピソードはたくさんありますが、一つだけ選ぶならデビュー曲「会津・山の神」をいただいたときです!まだ実家から四方先生のもとへレッスンに通っていたので、楽譜と歌詞カードは郵送で家に届きました。
 福島を歌った曲で、愛着のある地名や風景がたくさん散りばめられていて、家族みんなで大感激!祖父母も泣いて喜んでくれて、ここから始まるんだ、たくさんの人に愛される歌い手になろう!と思いました。

── 「みちのく娘!」について教えて!

 2018年に結成した東北出身3人娘の歌謡ミュージカルユニットです。NHK紅白歌合戦などの振り付けで活躍される花柳糸之先生のプロデュースで、歌いながら跳んだり踊ったり、元気になってもらえる楽しい曲ばかり。ソロ活動では本格的なダンスをしながら歌うことはないのでお稽古は大変ですが、そこは限界突破で!ソロステージとは違う一面を見ていただけるし、「みちのく娘!」からファンになっていただいた方もいるんですよ。

── コロナ禍では活動停止が続きましたね。

 はい、一昨年の春にすべてストップしました。皆さんに会えないのが本当に寂しかった!でも、気づいたこともありました。
 デビューしてからの私は、自分を知って欲しいとがんばってきましたが、私がステージに立てるのは皆さんが会場に来て、同じ空間で同じ時間を過ごしてくださるからだって。この数か月、生のステージが少しずつ戻ってきましたが、これからも皆さんといっしょに「歌う楽しみ」を創っていくことを忘れずにステージに立っていきます。

── 地元の皆さんへメッセージを!

 コロナ禍が落ち着いたら、県内のステージに立つ機会も増えますので、ぜひ遊びに来て、いっしょに楽しんでいただけたらうれしいです!大好きな矢吹町、そして福島県内の皆さんの心に私の歌が届くようにしっかりとがんばっていきます!これからも応援よろしくお願いします!


△新曲「壇ノ浦恋歌」3/30リリース

◆[プロフィール]◆
津吹 みゆ(つぶき みゆ)さん
演歌歌手
1996年2月28日生まれ
矢吹町出身、うお座 O型
善郷小・矢吹中・日本大学東北高卒、日本クラウン所属
2017年より「矢吹町PR大使」に就任
高校2年のNHKのど自慢出演をきっかけにスカウトされ、在学中に作曲家・四方章人先生のレッスンを開始。
卒業後上京し、本格的なレッスンを継続。
2015年「どんと響く直球ボイス!」のキャッチフレーズでデビュー。
祖父母や両親から「産声から直球ボイスだったよ」といわれるほど、のびやかに響く高音が魅力。
ステージでは中・高時代の吹奏楽部で演奏したフルートを披露することも。
宝塚歌劇団やミュージカルなどの舞台鑑賞も大好き。
目標は演歌界の大先輩・坂本冬美さんのように洋楽やJ-popなどジャンルを超え全身を使って表現できるアーティストになること!

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