安藤清美さん

風土が育んだ特色ある地域の
歴史や文化を次世代に伝えたい。

 須賀川市ゆかりの7名の偉人伝を一冊にまとめた「すかがわ人」が7月24日に発刊されました。作者は須賀川市立博物館の元館長であり、すかっと創刊から続く連載「大樹からのメッセージ」を山田眺慧のペンネームで執筆中の安藤清美さんです。
 

── 「すかがわ人」は、現地取材にこだわって書かれたそうですね。

 ええ。一人一人の功績は残っていても、人間性まで分かる資料が余りなかったので、先人ゆかりの地の空気に触れ、その人となりに迫りたいと考えてのことです。 円谷幸吉でいうと、資料のほとんどは晩年にまつわるものです。執筆前に、よく取り上げられる遺書だけが幸吉の人生じゃないと福島民報社に伝えたら、「安藤さんの円谷幸吉を書いてください」と言っていただけたので、ご親族から暮らしぶりを聞かせていただいたりしました。他の6人も同じで、水戸や輪島、草津や利尻島などゆかりの地を見聞して回ることで、これまで光が当たらなかった内容を織り込むことができたと思います。

── いつから執筆活動を始めたのですか。

 新聞に寄稿したことはありましたが、書くことに興味を覚えたのは、市役所に勤めていた40代の中頃です。
 妻と二人で旅した奈良県明日香村でのできごとを題材に「明日香風」という小説を書いて、一般公募の文学賞に応募したんです。初めてのことでしたが、全国から481作品の応募があり、最終審査まで残ったのです。あの時、文学賞をとっていたら小説家になっていたかもしれません(笑)

── 博物館長としての7年間で、特に思い出深いことは何でしょうか。

 徳川宗家の雛人形をお借りできるようになったことです。徳川宗家とは以前からの知り合いで博物館長就任のご挨拶の際に雛人形展のことを話したら、「うちにもありますよ」と言ってくださって。借用は須賀川だけの特別なことなんですよ。
 それから、ミュージアムコンサートですね。いまは各地で開催されていますが、福島県内で先陣を切ったのは須賀川市立博物館でした。他にも、地元の子ども達に博物館に親しんでもらうイベントを数多く企画できたことです。

── すかっと連載中の「大樹からのメッセージ」も24回を数えました。

 題材は「福島県緑の文化財」の樹木が基本ですが、すべて現地を訪ねて書いています。先月号の浅川町来福寺もそうですが、僕一人だと「変なおじさんがいる」と思われてしまうので(笑)、いつも妻と出かけています。実際に行ってみると立ち枯れていたり、偶然、新たな樹木に出逢うこともあって、毎回の発見を楽しませてもらっています。
 不思議なことですが、大樹の前に立つとその佇まいや周囲の空気感に圧倒され、吸い込まれそうな感覚になります。~この樹を植えた人がいて、何百年も守ってきた人たちがいる~と。そういう地域の歴史や文化を次世代に伝えることが、僕の役割だと思って執筆しています。

── 日頃から大切にしている言葉を教えてください。

 「ご縁」です。執筆を通して次世代へ受け継ぐ活動ができるのは、自分一人の力ではなく、たくさんの人のご支援やご指導があるからです。
 福島民報社から完成した「すかがわ人」を受け取った帰りの車中でも、これまで支えてくれた皆さんの顔が次々浮かんできて涙してしまいました。市立博物館の館長という立場がなければ結べない「ご縁」だったと思います。地元の皆さんに心から感謝しています。

 

◆[プロフィール]
安藤 清美(あんどうきよみ)
1954年9月 須賀川市生まれ
元須賀川市立博物館長
元福島県博物館連絡協議会理事
元日本ユネスコ協会連盟中央委員
「すかがわ人」は、福島民報紙上で連載された「ふくしま人」で安藤さんが手がけた『須田珙中、角田磐谷、亜欧堂田善、円谷幸吉、服部ケサ、小林久敬、円谷英二』の原稿をもとに加筆修正。 
 

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