今泉顕善さん

地元の民話には、地元の先人の教えや
暮らしぶりが織り込まれているんです。

今回、登場いただくのは民話の語り部で、本誌「地元の民話」の選者でもある今泉顕喜さん。地元でおなじみの地名や史跡にまつわる昔ばなしを、だれもが親しみやすく、わかりやすい表現で伝えてくれる今泉さんの人となりに迫ります。
 

── 民話に関わるきっかけは?

 平成13年に開催された翌年に「うつくしま未来博」で、民話の語り部を養成する勉強会に参加したことがきっかけです。私は、当時50代前半。コンビニを経営しながら、定年後は人前で話す趣味を持ちたいと考えていました。以前、結婚式場で長く司会をしていたこともありますが、民話に興味があったのは父親の影響でしょう。父は明治生まれの郵便局員で、それだけ聞くと無口なイメージですが、人と話すことが大好きな人でした。家族にもそうで、私も子どもの頃、寝床で毎晩、昔語りをしてもらいました。

── どんな話を聞いていた?

 父の話には「ニンベンさん」「ゴンベンさん」という登場人物が多かった。父の名は「信男」です。よくよく考えると、地域の昔ばなしをベースにして、自分の名前や経験を交ぜこんで語っていたんですね。
そもそも昔ばなしは、本筋が同じでも地域や話す人で伝わり方が変わります。山形に行けば山形の、遠野に行けば遠野の昔の暮らしを背景にした話になる。別の土地の話を聞いて「その話ぁ、おらどこにもあっつぉ」ということはよくあります。「昔ばなしは歩く」といわれる理由です。

── 語りで気をつかう点は?

 例えば、鏡石町内で「笠地蔵」の話をしても、地区によって微妙に違うようです。ある方は、私の語りを聞いたあとに「自分が子どもの頃に聞いた笠地蔵と違った」といっていました。ですから、はじめる前は必ず、出典(出どころ)を伝えるようにしています。
 もう一つは、方言です。私は郡山生まれなので、方言のいいまわしが違うかもしれないし、方言ばかりだと何をいっているか分からなくなるので、口承も文章も、標準語に近い表現をするようにしています。

── 伝承者としてのやりがいは?

 私が活動する前から、地域ごとの昔むかしは郷土資料としてまとめられてきました。しかし、伝承する場は途絶えがちでしたから、「伝える」作業を大事にしてきました。
 民話は若い人たちにはなかなか響きませんが、60代~70代の人たちは物語に織り込まれた子ども時代の遊びや風習に気づいて、とても懐かしんで喜んでくれます。私が収集している民話には、明治の開拓以降の人々の暮らしぶりが息づいているので、ふるさとの先人が生きた足跡を語り伝えていくことは私の役割だと思っています。

── 集めた昔話の数はどのくらい?

勉強をはじめて20年ほどですが、400~500話はあります。各地の教育委員会が編集した書籍などをもとに集めたものです。
 連載している「地元の民話」はその一部です。すかっとの読者にあうように、須賀川、鏡石、矢吹、石川に残る話から選び、表現はわかりやすさと、地元らしさにこだわって原稿をお渡ししています。毎月、「読んだよ」と声をかけられると、やっぱり嬉しいですね。
 

◆[プロフィール]
今泉 顕善(いまいずみあきよし)
1948年 郡山市生まれ
郡山西工業高校(現 郡山北工業高校)卒
須賀川昔話の会 副会長

平成13年に語り部となり、平成17年、10名のメンバーとともに「須賀川昔話の会」を立ち上げ。現在は、〔芭蕉記念館〕にて奇数月第3土曜10時から『芭蕉すかがわ民話館』を催すほか、児童館や美術館などの施設や各地域の呼びかけに応じて活動を続けている。
月刊すかっとの「地元の民話」コーナーの原稿提供者です。
 
 

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