三池敏夫さん

円谷監督の故郷から世界へ、そして未来へ。
地元の皆さんと特撮文化を守り継いでいきたい。

  『特撮アーカイブセンター』オープン記念、第2弾!今回ご登場いただくのは「特撮ワークショップ」でもおなじみの三池敏夫監督です。
 

── アーカイブセンターについて
 現在のお気持ちは?

 特撮アーカイブセンターは、映画会社の垣根を超えて特撮の貴重な資料を一か所に収集展示し、恒久的に残せる世界初の画期的な施設です。
 CGが主流になり、特撮のミニチュアや造形物はいまも散逸へ向かっています。この大切な財産を「どのように残すべきか」が、僕らの長年の課題でした。須賀川市は円谷英二監督生誕の地で、橋本市長は僕らと同じ特撮世代。利潤よりも「文化遺産の保存」という公共の意義をよく理解してくださった。だからこそ、僕らも開館へ向けて安心して動くことができ、素晴らしい形で想いを実らせることができたと感謝しています。

── 監督いちおしの展示物は?

 戦艦三笠です。円谷監督が参加した最後の映画「日本海大海戦」で使ったオリジナルです。たまたまオークションで発見し真偽を調査して入手したもので、塗装は修復しましたが原型は50年前のままです。
 同じ展示物の戦艦大和は15年前の「男たちの大和」のもので、海はCGだったので浮く必要はなかった。でも戦艦三笠はいまも水に浮きます。半世紀前の全長6mもの模型が残っているなんて本当に奇跡なんですよ。

── 文化庁の事業として修復が実現したそうですね。

 ええ。当時、文化庁のメディア芸術は漫画・アニメ・ゲームのみで、特撮は対象外でした。対象として認めていただくには、特撮の定義づけが必要ということになり、「日本特撮の調査」を行いました。特撮に関するまとまった資料も、統一した表現もなくて大変でしたが、3年かけてにようやく報告書と研究文献を提出することができ、文化遺産の継承事業として認めていただくことができました。

── 特撮ワークショップも好評です。

 綿で雲を作り、カメラ位置を決めてライトを調整して撮ると、レンズ越しのほうが本物らしくいい感じに映ります。須賀川では4・5回開催していますが、毎回、夢中になって撮影する参加者の姿を見るのは嬉しいですね。
 プロが集まる映画の現場とは違い、初めての人が本当にできるのかと不安でしたが、始まってみたら取り越し苦労でした。いまは開催を控えていますが、折をみて再開して、特撮の楽しさをもっと多くの方へ伝えていきたいと思っています。

── 今後の活動については?

 アーカイブセンターを拠点に、散逸するであろう模型やミニチュアを発見・収集していくことが一つ。
 もう一つは、特撮の造形物を活かす技術を残していくことです。技術の継承には実践が不可欠なので、新作映画を作るところまで活動を広げられれば理想的ですね。

── 最後に読者へメッセージを!

 今年は、円谷英二生誕120年です。円谷監督がゴジラを作ってくれたおかげでウルトラマンが誕生し、多くのキャラクターも生まれました。僕らはそれを観て「こんな面白い世界があるんだ!」と特撮の世界に飛び込んだ。須賀川のおかげでいまの僕らがあるし、特撮ファンも世界中にいます。これからも一緒に力をあわせて特撮文化を世界へ、そして未来へつなげていきましょう。
 

◆[プロフィール]◆
特撮・VFX監督
三池 敏夫さん(みいけとしお)

1961年5月(59歳) 熊本県出身
特定非営利活動法人 アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)所属。
日本映画・テレビ美術監督協会会員。
株式会社特撮研究所所属。
1984年に上京、特撮研究所の矢島信男特撮監督に師事。
デザイナー大澤哲三、井上泰幸のもとで特殊美術を学び、平成ガメラ3部作、ウルトラシリーズ、ゴジラシリーズ、『男たちの大和』、『のぼうの城』など数々の作品のミニチュア美術を担当。
2012年『ウルトラマンサーガ』特技監督。
2020年『Fukushima50』特撮・VFX監督。
 
 

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